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January 12, 2006

えさをやること

庭の木にかけておいた餌台(2005・12・9記事「とりぱんに憧れて」)を、
久しぶりに覗いて見ると、りんごやナッツが乾ききって残っていました。
雪が、降り積もっては解け、を繰り返した哀れなお皿。
こんなお皿には、鳥は来てくれないのかな、餌台が悪いのかな、と
あれこれ情報収集していたら・・・うーん、考えさせられてしまいました。

2006・1・8記事「パンのとりこたち」では、パンに群がるトンビの写真を掲載しましたが
実際にいたトンビは、この写真の3倍くらいの数(!)でした。
一度にこんなにたくさんのトンビを見ることは、初めてだったのと
トンビという鳥がパンを人から食べるということに、驚きました。
猛禽類は、昔からヒトが調教し、狩猟の手伝いをしていたくらいだから
ヒトに慣れるということは理解していましたが、
それよりも、自分たちで食糧を得ることを放棄した個体の多さに驚いたのです。

実は、白鳥やカモにパンの耳を持っていくことにも少し疑問を抱いています。
白鳥の飛来地には「白鳥の餌をお寄せください」なんて書いてあるけれど
この渡り鳥たちは、人間の餌がないと、どうなっちゃうんだろう?
たくさんのヒトが、パンや古米を与えている風景を見て
これって野生の姿なんだろうか?なんて思ってしまうワタシがいます。
河川や池を、昆虫や植物のある健全な状態にすることの方が
ヒトの役割なんじゃないだろうか?なんて。エラソウなんですケド・・・。

自宅の餌台に、野鳥を呼ぼうとりんごを置いた私。
野鳥が餌台に依存することを、心配する方がネット上にいました。
旅行の間、餌やりを放棄したら、野鳥が何羽も餌台のそばで死んでいた、
という海外での話もあるとか。
餌台を置いている多くの方を、批判するつもりはありません。
野鳥の生態を観察することは楽しいし、学ぶところもあると思います。

インスタントではなくて、ヒトが時間をかけて庭木という生きるえさを育て、
その実を野鳥が自分の本能で見つけ出し、
食べに来たのを観察する、というのが本当は理想的なのかなぁ・・・。

さて、渡り鳥のえさやりについては、一般的には、今の間だけ、
将来的に環境がよくなるよう、ヒトが努力しているその間だけ、
という意味づけで、行われている、と考えたらいいのでしょうか。

彼らは愛嬌があって憎めなくて、元気でいるのを見るのは嬉しい。
「口ばしコミュニケーション」もちょっと痛いけれど楽しい。
この楽しみ・・・えさやりが本当に長い意味で、
彼らのためになるといいなぁと思います。


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Comments

たとえばそれが善意のおしつけのようになって、「わたしたちは野鳥のためになっているのだから、あなたたちも餌の供給をしなさい」とか「釣りはするべきじゃない」というふうに過激になってきたとしたら本筋を逸脱しているかもしれませんね。

確かに釣り糸や錘で命を絶たれる水鳥のニュースは後をたちませんし、マナーの問題としては考えるべきなのでしょうが、餌がもらえるということで釣り場だった場所に多く集まるようになったとのだとしたら、どちらにその責があるのかというのは難しい問題かもしれません。

野鳥と触れ合うということでささやかな餌付けをするのは決して悪いことではないでしょう。仮にそれに依存して死んでしまった野鳥がいてもそれは仕方ないと諦めることもまた必要ではないかと。それが許せないのであれば、はなから餌付けは一切しないか、徹底して責任もって行うかでしょうか。

すみません、ちょっと長くなりました(^^;

Posted by: ムムリク | January 12, 2006 at 04:18 PM

クロミニさんの気持ち、わかりますよ。

そうですね、鳥たちの餌場を奪ってしまったのが人間なのだから、そのかわりに餌を供給してあげている、、、っていうのはどうでしょう。

自宅の庭に餌台を置くことによって生態系が大きく変わるとは思えないので、それについては問題がないと思うのですが。

それと、母が以前言っていました。
すずめにも縄張りがあるらしいと。
実家の両親も、庭に鳥の餌を撒いています。
隣の家でも同様に餌を撒いているとか。
ところが、実家の庭と隣の家の庭に来るすずめは、別の群れなんだそうです。
そして、秋の餌がたくさんある時期には、来ないそうです。

クロミニさんのお庭が、小鳥さんの縄張りとして認められたら、たくさんのかわいらしい姿を見られるようになるかもしれませんね。

私も庭があったら、小鳥の観察をしてみたいです。

Posted by: koko | January 13, 2006 at 11:44 PM

クロミニさん、こんばんは。

>渡り鳥のえさやりについては、一般的には、今の間だけ、
将来的に環境がよくなるよう、ヒトが努力しているその間だけ、という意味づけで、行われている、と考えたらいいのでしょうか。

その考えに賛成です。
人間の暮らしによる開発や汚染で生態系が崩れ、減少してしまった鳥類などに一時的にエサを与えることによって手助けするのは良いとしても、例えばハクチョウの飛来地として「観光地化」させてしまうような給餌行為というのは、少しずつ減らしていくべきだと思います。

Posted by: じん | January 15, 2006 at 08:51 PM

☆ムムリクさんへ

釣り糸や釣り針に傷ついた冬鳥のニュースは毎年ありますね。
人間が入りやすい水辺のエリアが、釣り場や餌やり場になるのは避けられないことかも知れないなぁと思います。
釣りをかじったことのある立場として、(最低限の)糸や針のロストなしでは釣りの上達はあり得ないと感じるからです。
えさやりについても、そんな感じの考え方で、少し人間の立場も考慮していい部分がなければ、何もできないですよね。
ありがとうございます。

☆kokoさんへ

kokoさんのご実家のように、縄張りに選んでもらえるように、まずは小鳥を呼んでみることにしますね。(^^;
(ここ数ヶ月道路工事があってから、めっきり鳥が見えなくなっちゃったんですが)
やってみて分かること、を体感するのも大切ですよね。

☆じんさんへ

そうそう、ワタシもそう思います。
餌やりはどうして始まったのかな、何のためにやるのかな、というのを、情報館のあるような飛来地では、もう少し知らせてもいいんじゃないかなと思うんです。
動物園の中にある子ども向けの、うさぎやハムスターと触れ合うコーナーとは違うことを、忘れてしまってはいけないと思います。
言いたかったことを理解して頂けて嬉しいです。

Posted by: クロミニ | January 16, 2006 at 12:52 PM

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